Jul 20, 2012

復興応援プロジェクト 『夢や希望のある街、石巻』 : ボランティア活動 Part 1



お久しぶりのblog postはちょっとマジメなお話です。
けど、気楽に見てくださいな♪

7月17日〜18日の日程でいま働いているグループ会社のCSR部公募のボランティアに行って来ました!

東日本大震災への支援活動の一環で
被災地の石巻市へ出向き、学校支援のニーズ調査や先発チームが行った調査を受けて行う校内の除草作業などをするボランティア活動です。

震災直後は余りの惨状に現地入しても私はきっと役立たずだろうと思い、
募金や衣類の提供などで応援することしかできなかったけど、このタイミングでボランティアに参加できることになり、不安もありながらも仙台に行く決心をしました!








正直、新幹線ですらイマイチ乗り方分からない私にはハードル高いかな?とも思ったけど、『人間、何事も一回目が無いと二回目は無いよ。』と珍しくママンがいい事言ったので、ひとりで参加しましたよ!(最近のお一人様行動もいよいよ極みつつありますかなw)

さてさて、集合場所の仙台駅に着いてグループ会社の社員スタッフが全国より総勢40名ほど集まったところで、
バス二台に乗り込みいざ出発!
活動地域の石巻市までは意外と長く1時間半ぐらいはかかったかな。

途中、現地のボランティア団体JENさん達と合流し、先ずは被災地の現状を視察してまいりました。







見づらい写真が続きますが、最初に見たのは瓦礫の山、山、山、、、







何にも無くなってしまった海近くの土地には青々と草が生えてしまい、、、








原型は何だったのかわからない骨組みだけの建物、、、







ここは、津波に飲み込まれ車や瓦礫からの延焼被害もあった門脇小学校。幸いにも裏手の高台に長テーブルを橋渡しにして生徒たちや避難住民たちが決死で逃げて助かったそうです。







黒焦げの校舎。どれほど怖かったかと想像もできません、、、





瓦礫はかなり集められた印象はあるけれど、このように骨組みだけの建物や一階だけ半壊してる家があちこちに取り残されてました。







瓦礫は集積場(これももちろん臨時で作られているわけで、だれかの土地だったり学校の校庭だったりする。)に山積みとなり、仕分けも進んでいる所もありました。
津波に飲み込まれたであろう大破した車が何百台と積まれている有様はテレビなどでは伝わらないものがありました。これらの車の持主は無事だったんだろうか、、、


石巻市だけで今600万トンの瓦礫があり、通常年間のゴミが6万トンの同市にとっては瓦礫処理は100年かかる作業だと聞いて『瓦礫の広域処理』は正直安全面でどうなんだろ?と思っていた私の考えは一瞬で吹っ飛びました。







多くの住民が逃げた高台の日和山公園からの眺め。約4000世帯が被災し、港も壊滅的被害でいまだに漁業もできないそうです。
1.5mの地盤沈下で港に船が寄せられず、現在は岸壁の嵩上げ工事をしていました。







こちらは公園の柵にあった震災前の写真。







こちらが同じ場所の震災後。
川を津波が逆流しかなりの範囲で被害があったのを実際にバスで市内を見て分かりました。



この公園でこの眺めと震災前の写真を見たときに、なんかデジャヴのようにNYの911を思い出しました。
Brooklyn Promenadeから見たWTCのない不思議とも違和感ともいうような景色と柵に貼ってあるかつての風景。
愛着のある場所で感じた猛烈な喪失感を思い出しました。

きっと、石巻市の方達もものすごい喪失感を感じているんだろうなと、なんだかとても辛く感じました。こんなことテレビじゃ伝わらないし、、、今さらでも来てよかった。



(つづく)




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