Jul 20, 2012

復興応援プロジェクト 『夢や希望のある街、石巻』: ボランティア活動 Part 2


Part 2では実際に行ったボランティア活動について。

集まったグループ社員スタッフの内、3分の1ぐらいは小中学校へ出向いてのヒアリング調査で3分の2ぐらいは除草作業や花壇・側溝清掃などを2日目に行ないました。

私はヒアリング調査チームで活動することになりました。
こんなぺーぺーが本当にお役に立てるのか?被災者にお会いするのも初めてだし、、、

けど、同じチームの方達がボランティア経験者だったりしてとってもしっかりされていたので、なんとかかんとか活動してまいりました(汗)

二校の調査を依頼され、先ずは稲井小学校という所に行ってまいりました!














こちらの小学校と隣接する稲井中学校は直接の津波被害はありませんでした。しかし、被害のあった渡波小・中学校の仮設校舎がそれぞれの校庭に立っています。
何気なく置いてあるお花のプランターも、実は地盤沈下の影響で花が植えられずお花のプランターを寄付してもらい育てているそうです。






仮設校舎。広い校庭の一部が減り、二校の校庭として使われています。この事による色々な問題を先生よりお話をお伺いして、ニーズを調査しました。

稲井小学校の先生がおっしゃった『ただ、普通に戻りたい。震災前の通りにね。』という言葉がとても印象的でした。

ひっきりなしに来るボランティア団体への対応で疲れ、もう支援は大丈夫です。
とおっしゃる先生のお気持を考えると、震災以来非日常的な毎日を送ってこられたのが分かりました。

支援は要らないとはいえ、子供たちの遊び場がなくなってしまったり、夏休みの子供達の補習やプール開放を計画してるが先生が足りなかったり、生徒数が増えた為にスクールバスが3倍ぐらい増えてしまい、学校周辺の道路が危険で先生総出で監視したり、地盤沈下で大雨だと学校周辺に水があふれ校舎が孤立してしまったりとたくさんの問題を抱えていました。







稲井小学校の周りは田んぼでのどかそのものです。しかし実際は地盤沈下をしています。

石巻の被災地域はたしかに、道路を補修した跡もあるし、ガードレールもなんかよじれてるし、道もゆがんで車がかなり揺れました。地盤沈下を直す方法なんてあるの、、?大地震のダメージは本当に凄まじいと思いました。


続いて行った二つ目の学校は大川中学校です。

写真はないのですが、現在は市内の飯野川中学校に間借りしている生徒数20名ほどの中学校です。

こちらの中学校は生徒数減少のため来年に閉校が決まっていました。その理由の一つはこの中学校へ進学するはずだった大川小学校の生徒が人的被害が多く、進学してくる子供達が亡くなってしまったという、なんともやり切れない悲しい現実でした。

大川中学校の先生のお話では、今年は支援が減ってきたとか、まだ冬服が足りなかったり、人的被害で人数が減って元気のない子供達を笑顔にしてあげたいとか、閉校式をどのようにするかなどの問題を伺いました。


これら二校のヒアリング調査で得た問題点をチームで話し合い、他の学校で活動していた別のチームの皆さんで共有しました。

具体的な策はCSR部とボランティア団体JENさんとで、話し合われることになっていますが、このボランティア活動に関わった私はもちろん、皆がその行く末を見届けたいし、これからも関わっていきたいと思っていると思います。

集まったグループ社員スタッフの皆さんとも貴重な体験を共有でき、色々な方の熱い意見を聞いたりしてとっても有意義な体験をさせてもらい感謝しています。

もちろん、今回の活動で感じた改善点などもあったりして、どんどん良い方向に向かうよう皆で努力したいですね!


最後にCSRとは…

Corporate
Social
Responsibility


『企業の社会的責任』です。

個人では出来ないことも企業としてなら出来ること、色々考えたいですね‼


あと、ひとつ、、付け足しますと、、、
私は体力もないし、重いもの持つ力もないし、太陽苦手だし、暑いの嫌いだし、快適じゃないこと耐えられないし、、けど、そんな自分でもできることはあるかもしれないと思いボランティアに参加しました(笑)ボランティアって敷居高そうだけど、実は誰でも参加できるんじゃない?って思いましたよ!


(読んでくださった方ありがとうございます~!)





復興応援プロジェクト 『夢や希望のある街、石巻』 : ボランティア活動 Part 1



お久しぶりのblog postはちょっとマジメなお話です。
けど、気楽に見てくださいな♪

7月17日〜18日の日程でいま働いているグループ会社のCSR部公募のボランティアに行って来ました!

東日本大震災への支援活動の一環で
被災地の石巻市へ出向き、学校支援のニーズ調査や先発チームが行った調査を受けて行う校内の除草作業などをするボランティア活動です。

震災直後は余りの惨状に現地入しても私はきっと役立たずだろうと思い、
募金や衣類の提供などで応援することしかできなかったけど、このタイミングでボランティアに参加できることになり、不安もありながらも仙台に行く決心をしました!








正直、新幹線ですらイマイチ乗り方分からない私にはハードル高いかな?とも思ったけど、『人間、何事も一回目が無いと二回目は無いよ。』と珍しくママンがいい事言ったので、ひとりで参加しましたよ!(最近のお一人様行動もいよいよ極みつつありますかなw)

さてさて、集合場所の仙台駅に着いてグループ会社の社員スタッフが全国より総勢40名ほど集まったところで、
バス二台に乗り込みいざ出発!
活動地域の石巻市までは意外と長く1時間半ぐらいはかかったかな。

途中、現地のボランティア団体JENさん達と合流し、先ずは被災地の現状を視察してまいりました。







見づらい写真が続きますが、最初に見たのは瓦礫の山、山、山、、、







何にも無くなってしまった海近くの土地には青々と草が生えてしまい、、、








原型は何だったのかわからない骨組みだけの建物、、、







ここは、津波に飲み込まれ車や瓦礫からの延焼被害もあった門脇小学校。幸いにも裏手の高台に長テーブルを橋渡しにして生徒たちや避難住民たちが決死で逃げて助かったそうです。







黒焦げの校舎。どれほど怖かったかと想像もできません、、、





瓦礫はかなり集められた印象はあるけれど、このように骨組みだけの建物や一階だけ半壊してる家があちこちに取り残されてました。







瓦礫は集積場(これももちろん臨時で作られているわけで、だれかの土地だったり学校の校庭だったりする。)に山積みとなり、仕分けも進んでいる所もありました。
津波に飲み込まれたであろう大破した車が何百台と積まれている有様はテレビなどでは伝わらないものがありました。これらの車の持主は無事だったんだろうか、、、


石巻市だけで今600万トンの瓦礫があり、通常年間のゴミが6万トンの同市にとっては瓦礫処理は100年かかる作業だと聞いて『瓦礫の広域処理』は正直安全面でどうなんだろ?と思っていた私の考えは一瞬で吹っ飛びました。







多くの住民が逃げた高台の日和山公園からの眺め。約4000世帯が被災し、港も壊滅的被害でいまだに漁業もできないそうです。
1.5mの地盤沈下で港に船が寄せられず、現在は岸壁の嵩上げ工事をしていました。







こちらは公園の柵にあった震災前の写真。







こちらが同じ場所の震災後。
川を津波が逆流しかなりの範囲で被害があったのを実際にバスで市内を見て分かりました。



この公園でこの眺めと震災前の写真を見たときに、なんかデジャヴのようにNYの911を思い出しました。
Brooklyn Promenadeから見たWTCのない不思議とも違和感ともいうような景色と柵に貼ってあるかつての風景。
愛着のある場所で感じた猛烈な喪失感を思い出しました。

きっと、石巻市の方達もものすごい喪失感を感じているんだろうなと、なんだかとても辛く感じました。こんなことテレビじゃ伝わらないし、、、今さらでも来てよかった。



(つづく)